「ヘヴン」
川上未映子さんの「ヘヴン」。
いじめの話です。
「物事には必ず意味がある」というのはいつだって苦しいときの救いになります。ただコジマの言うそれは少しちがう。コジマはいじめに意味を与えて救われていますが、その一方で意味に自らの不潔さを与えてもいます。前者は現状に後付けした意味であり、後者は意味に即した現状を作っています。後者には覚悟が必要です。それに対し主人公は後者の覚悟を持ちません。べつに望んで斜視になったわけではないからです。コジマは主人公に過剰な同族意識を抱いていますが、実際彼女らは境遇が同じなだけで似たものどうしではありません。主人公が「斜視を治す」と話したときコジマが激昂したのも、単に期待と現実は違ったという話にすぎないのです。「君の目がすきだよ」という言葉もよく考えると、発している側と受けとる側とで意味がまったく通じていません。コジマは「君の目(が持っている私と同じような覚悟)がすき」なのに対し、主人公は純粋に「君の目がすき」だと受けとっています。
似ていないどうしだからこそ、ラストでの変わり方もまったく異なります。コジマは自らの覚悟に救われると同時に追いつめられてゆき、主人公は斜視を治してしまいます。コジマは「自分の世界」の美しさを極め、主人公は「ふつうの世界」の美しさに気づきます。
いじめの描写は痛くて苦しくて読むのがつらかったです。無意識に歯を食いしばったり息がとまったりしていて何度か投げだしました。それもあってか、いじめが発覚して母親と話す場面はぼろぼろに泣きました。大切なものが理不尽に傷つけられたり壊されたりするのはつらいです、月並みですけれど。